普通に話がしたい

日記とか備忘録とかその類のソレ

遺言という形式

希死念慮というものは、あるようでないような感じがする。

言い換えると、ふっと死にたくなる時があるという事です。

 

そういう時、ふっと飛び降りられるように、心置き無く闇へ帰れるように遺言でも残そうかと思い久しぶりにブログを書いています。

 

思い立ったが吉日という言葉がありますが、ふと物心がつき、さらには気がつくと希死念慮がありました。死んでしまった方が楽に生きられる命という物は在ります。悲しいですが。現実世界に神はいません。そんなものです。

 

 

悲しいかな、私の人生観においては、この(資本主義の)世では、生まれた瞬間から競争に付き合わされることが確約されており、思春期を迎えるその前から大人になるため、社会システムが組んだ競走に付き合わされていたと思ってしまって仕方がないのです。

 

特に私は幼少期から競争というものが苦手でした。他人と常に比較され、例えば通知表です。

通知表の成績が悪く、他人と比べ劣っていると自覚せざるを得ない毎日でした。それでもなんとか生きていますが、常時インターネットに接続された現代社会では、常に自分の上位互換が出回っている事実を突きつけられます。そういった日々です。

 

さらには家に帰ると厳しい親、学校に行くといじめ、授業においては勉強も運動も苦手でありました。

理解力というものはありましたが、記憶力がありません。要は要領よく暗記できる人間というものが紙のテストにおいて有利であり、身頭鶏である私には

そういったものが何一つ上手くやれませんでした。

 

そうした日々が苦痛で仕方がなかったため、気がつくと、物心ついてしばらくして希死念慮があるなんていう悲しい生を過ごした私です。

 

しかし、そんな私にも良き友人は居ました。

友人だけが私がこの理不尽な世の中で得た宝物でした。

 

激しい競争社会の中、私を通知表の成績で評価しない友人というのは宝物そのものでした。

思えばこうして自分語りを書き残せる胆力があるのも、きっと友人のおかげだと思います。

 

私は私を形成した全てを恨んでおり、希死念慮が起こるほどには恨んでいますが、友人にだけは申し訳ない気持ちでいっぱいであります。

 

私には何もありませんが、本当に友人にだけは恵まれる人生でした。

私に良くしてくれた友人、恋人、その他人々には感謝してもしきれません。

 

 

しかし、ただ友人には恵まれても、生きていると絶えず押し寄せてくる苦痛と強迫観念、絶望感というものを前にすると立ち直れなくなります。いてもたってもいられません。

そうした苦から逃れるには死しかない訳です。

功利主義的に言うと、生きるという行為に伴う苦痛の総量を考えれば死を選んでしまって苦痛を止めてしまう方が苦痛の量は少ない。というわけです。

悲しいかな、生きる苦痛が喜びの総量を上回ってしまったのです。

 

 

近代の人間なんてものは信用出来ない。

己の利益を最大化しようとする余り、この資本主義に洗脳され、根源的に人類を支えてきた隣人愛のようなものが欠如してしまった化け物それこそが現代を生きる人間であります。

 

このような怪物は信用出来ず、また、悔しくも人間である己のそういった怪物っぷりを自覚する瞬間は本当に醜く、己に絶望するしかない訳であります。

 

なんとか毎日欠かさず酒をたらふく飲んで誤魔化して暮らしていますが、きっといつか限界はきます。これを書いている今、希死念慮はあるのですから。

 

しかし、私が死んだ後、これを知る貴方は悲しい顔ではなく、むしろ祝福し、勝利したような笑顔を私に向けて頂きたいのです。

なぜなら、私の自死の成功(または、幾らかの理由による死)は、私の人生にとっては物事が上手く運んだ結果であるに違いがないからであります。

私にとって死は幸運である。ということであります。

 

 

そうした場合はお疲れ様、とか、良かったね、と言ったような祝福の言葉を投げかけて頂きたく思います。

 

生きるという活動は本当に苦痛そのものでした。

 

遺言という形式上、自死なのかその他の原因があるのかはこれを書いている私には計り知れないのであるが、これは変わらない事実であり、私の人生観そのものであるといえるのは生涯変わらない価値であります。

 

私に優しくしてくれた人、愛を注いでくださった人そんな変な人達にはこんな酒狂いではありましたが、きっと素面でも伝えきれない愛を送ります。そして地獄から祝福を祈ります。きっと良い人生を送れるでしょう。安心してください。

何があっても私が地獄から護ります。悲しい世界ですが、きっと幸せでした。ありがとうね。

 

それ以外の人間は、みんな平等に地獄に落ちれば良いと思っています。自分の利益を最大化することだけを考える、凡庸な人間のことは嫌いなので。

 

 

 

そんな人間としての活動でありました。

 

再三言いますが、私が愛した人はきっと良きように物事が進むと思います。私の遺言(この文章)を思い出してください。あなたたちは狂っていてそれでいて愛のある人間らしい最高の人間です。

 

本当にありがとう。さようなら。