生きている
酒に酔っております。恥を忍んで生きております。
お酒は人の本性を出すというふざけた標語のようなものがありますが、人間は基本的に本性で話す生き物であると観察しているため、普段人に見せない一部分が出ているに過ぎなく、基本的には善意によって隠されたものである、というのは頭に入れておかないといけない事柄であると、考えております。
であるからして、自分の陰湿で暗い一部分をここに書こうと思います。
承認欲求とでも言うのでしょうか、基本的に明るく振る舞う私は暗い人間であるということを残しておきたいのです。
タスクが重くなると死にたくなる気持ちが生まれる傾向があります。
どうせ誰も見ない文章であるからして晒しますが、それは子供のように恋や愛に狂った人間に狂ったように愛されたい人生でありました。
100万回甘やかすから、100万回甘えさせて欲しいなぁと……思います……。
人生という苦痛を背負ったもの同士、見返りを求めず、自分の余裕のあるだけ愛する人に優しくしてやるべきだと考えています。
しかし、どういう訳か、「恋」などという概念があるそうで、そういった気持ちが尽きると私の考える「愛」を与えることが出来なくなってしまうのが世の常だそうで。どうしても居た堪れない気持ちになります。
数多くの浪漫と姦淫の上で成り立っている人類史であるからして、女と付き合わなければいけない、それ以外の性愛は非合理であるという道理は理解できるのでそうした相手は女でなければならないのですが、これもまた生まれ育った環境や価値観、物の見方がまるで違う生き物であるからして、非常に面倒である訳です。
私は親というものにコンプレックスを抱えているため、子供をこさえるなんてことはきっとないとは思います。
もしこれを読んでいる私自身が子供をこさていたとしたならば、きっと現時点で計り知れない幸福の上に居ることでしょう。或いは不幸の可能性もありますが、あえてそれには言及しないでおきます。。
本当に仕方なく生きている人間というのは居ます。
不幸の場合は破滅願望が働いたんだろうなぁとか、勝手に同情しておきます。
自分が自分に同情するのですから、これだけは信じて欲しいものです。
また酒に任せて自分の暗黒の部分をさらけ出せる時にはさらけ出しておきたいと思います。生きているなら、大事な足跡として管理しておいて欲しいです。
遺言という形式
希死念慮というものは、あるようでないような感じがする。
言い換えると、ふっと死にたくなる時があるという事です。
そういう時、ふっと飛び降りられるように、心置き無く闇へ帰れるように遺言でも残そうかと思い久しぶりにブログを書いています。
思い立ったが吉日という言葉がありますが、ふと物心がつき、さらには気がつくと希死念慮がありました。死んでしまった方が楽に生きられる命という物は在ります。悲しいですが。現実世界に神はいません。そんなものです。
悲しいかな、私の人生観においては、この(資本主義の)世では、生まれた瞬間から競争に付き合わされることが確約されており、思春期を迎えるその前から大人になるため、社会システムが組んだ競走に付き合わされていたと思ってしまって仕方がないのです。
特に私は幼少期から競争というものが苦手でした。他人と常に比較され、例えば通知表です。
通知表の成績が悪く、他人と比べ劣っていると自覚せざるを得ない毎日でした。それでもなんとか生きていますが、常時インターネットに接続された現代社会では、常に自分の上位互換が出回っている事実を突きつけられます。そういった日々です。
さらには家に帰ると厳しい親、学校に行くといじめ、授業においては勉強も運動も苦手でありました。
理解力というものはありましたが、記憶力がありません。要は要領よく暗記できる人間というものが紙のテストにおいて有利であり、身頭鶏である私には
そういったものが何一つ上手くやれませんでした。
そうした日々が苦痛で仕方がなかったため、気がつくと、物心ついてしばらくして希死念慮があるなんていう悲しい生を過ごした私です。
しかし、そんな私にも良き友人は居ました。
友人だけが私がこの理不尽な世の中で得た宝物でした。
激しい競争社会の中、私を通知表の成績で評価しない友人というのは宝物そのものでした。
思えばこうして自分語りを書き残せる胆力があるのも、きっと友人のおかげだと思います。
私は私を形成した全てを恨んでおり、希死念慮が起こるほどには恨んでいますが、友人にだけは申し訳ない気持ちでいっぱいであります。
私には何もありませんが、本当に友人にだけは恵まれる人生でした。
私に良くしてくれた友人、恋人、その他人々には感謝してもしきれません。
しかし、ただ友人には恵まれても、生きていると絶えず押し寄せてくる苦痛と強迫観念、絶望感というものを前にすると立ち直れなくなります。いてもたってもいられません。
そうした苦から逃れるには死しかない訳です。
功利主義的に言うと、生きるという行為に伴う苦痛の総量を考えれば死を選んでしまって苦痛を止めてしまう方が苦痛の量は少ない。というわけです。
悲しいかな、生きる苦痛が喜びの総量を上回ってしまったのです。
近代の人間なんてものは信用出来ない。
己の利益を最大化しようとする余り、この資本主義に洗脳され、根源的に人類を支えてきた隣人愛のようなものが欠如してしまった化け物それこそが現代を生きる人間であります。
このような怪物は信用出来ず、また、悔しくも人間である己のそういった怪物っぷりを自覚する瞬間は本当に醜く、己に絶望するしかない訳であります。
なんとか毎日欠かさず酒をたらふく飲んで誤魔化して暮らしていますが、きっといつか限界はきます。これを書いている今、希死念慮はあるのですから。
しかし、私が死んだ後、これを知る貴方は悲しい顔ではなく、むしろ祝福し、勝利したような笑顔を私に向けて頂きたいのです。
なぜなら、私の自死の成功(または、幾らかの理由による死)は、私の人生にとっては物事が上手く運んだ結果であるに違いがないからであります。
私にとって死は幸運である。ということであります。
そうした場合はお疲れ様、とか、良かったね、と言ったような祝福の言葉を投げかけて頂きたく思います。
生きるという活動は本当に苦痛そのものでした。
遺言という形式上、自死なのかその他の原因があるのかはこれを書いている私には計り知れないのであるが、これは変わらない事実であり、私の人生観そのものであるといえるのは生涯変わらない価値であります。
私に優しくしてくれた人、愛を注いでくださった人そんな変な人達にはこんな酒狂いではありましたが、きっと素面でも伝えきれない愛を送ります。そして地獄から祝福を祈ります。きっと良い人生を送れるでしょう。安心してください。
何があっても私が地獄から護ります。悲しい世界ですが、きっと幸せでした。ありがとうね。
それ以外の人間は、みんな平等に地獄に落ちれば良いと思っています。自分の利益を最大化することだけを考える、凡庸な人間のことは嫌いなので。
そんな人間としての活動でありました。
再三言いますが、私が愛した人はきっと良きように物事が進むと思います。私の遺言(この文章)を思い出してください。あなたたちは狂っていてそれでいて愛のある人間らしい最高の人間です。
本当にありがとう。さようなら。
Larry Chanceと私。
Larry Chanceが死んだ。
というか、死んでいた。今年の9月に。
Larry Chanceが何者かというと、私を洋楽の沼に突き落とし、あげくレコードの沼にも突き落とした、The Earlsというボーカルグループのリードボーカルである。
今日の移動中に山下達郎のラジオを聴いていたら、その追悼という意味でThe Earlsの曲をかけていた。本当になんで今なんだ。
そこでその知らせを聞いて初めてLarry Chanceの訃報を知った。そう、日本では名の知れた人でもないし、海外でも一部のマニアしか知らないような歌手。たとえ死んだとしても日本では海を越えて報道も、ましてやTwitterにすら情報が届いてこない。
そこまで名の知れた人では無いのだ。
まして他のボーカルグループと比べて歌が抜けて上手い訳でもないし、良いメロディが書ける人でもない。
でもなんか好きで、好きで、The Earlsの曲は当時洋楽が苦手だったのに聴きまくったし、それで耳が慣れて洋楽を聴き始めるきっかけになった。
当時聴いていたバージョンは本当に音が悪かったため、レコードを手に入れれば良い音でLarry Chanceの声が聴けるかもしれないと思ったからレコードプレーヤーを買って、The Earlsのレコードを手に入れるのを生涯の目標にしていた。

それは思ってたより早く叶った。
心斎橋のレコード屋さんで1500円くらいで売れ残っていたものを手に入れた。
多分オリジナルでは無いから、オリジナルがあれば手に入れたいけど、ひとまず買えた。
火事があってもこれだけは持って逃げる宝物だ。
そんなこんなで一応YouTubeには去年のライブ映像が残っているから、まだ元気なのだろうから、就職して余裕が出来たらアメリカまで会いに行けたらいいな。。とか思っていた。
じゃあいつの間にか死んでた。
別にこれといって悲しさは無い。かなり歳だったし、そもそも死因が日本語の情報で出てこないから分からないけど、ココ最近の大橋純子やら高橋幸宏やら、鮎川誠やらの逝去ラッシュで麻痺してたのはあるとはいえ、悲しさはあまりない。
けど自分に大きな影響を与えた人物が亡くなると流石に思うところはある。
この行き場のない気持ちと自分を納得させるためにこうして長い文書を書いている。
そして、こう宣誓することによって少しは気が晴れると思った。
どれだけ年月が経とうとも、私はThe Earlsに影響を受けているし、最高の歌手はLarry Chanceだと思っている。
ここにその表明と、備忘録を付けておこうと思った。
忘れないというのが彼に対する最大の敬意だと思う。
RIP.Larry Chance.
Remember Then.
ひとりでに京都。
2021.08.06.金曜日
最近楽しい予定が沢山あって、まとめる暇も無い。
色んなことをして、色んな場所に行っている。
書き出すと大変なので、熱が覚めないうちに今日のことを。
10時
家を出る。目的は素直でストレートな歌声が胸に突き刺さり、刺さったままチケットの入金を済ましたカネコアヤノの弾き語りライブ「よすが」の公演だ。
父に早くない?って言われたけど、ついでに京都を散策したかったので押し切った(?)
12時過ぎ
到着。まず八坂神社を散策して、錦市場で色々食べ、周辺の商店街とかお店をぶらぶらと散歩。

観光感ある。この時点でその観光感で満足していた。
14時半頃
お目当ての喫茶店が流行病の影響を受け、閉店していた。
やむを得ず適当にググって、1番上に出たところを行こうと思い、適当に向かった場所がここ

何だこの立派なお庭!?
さらにさらに気さくな店主さんと日本語ペラペラ大学教授フランス人の方と談笑出来ることに。
16時から物販の先行があったのでそれまでに出るつもりが17時まで残ってしまった。
御二方とも面白い方で、話題にヨーロッパの価値観も加わり普段ない楽しみがあり、本当に素敵な出会いだった。
また来よう。絶対行こう。
17時過ぎ
お店を出て、物販へ。
シャツだけ買うつもりだったのに会場限定のライブ盤も売っていたので買ってしまった。
予告してなかったくない?ズルくない?
ライブTシャツを現場で着るか悩みながら、レトロモダンな建築の京都役所周辺を散策していた。
たまたま目に入ったレコード屋でフランク・シナトラの欲しかったアルバムが破格の値段で売っていたので購入。
『出会い』だ。。この街には『出会い』がある。。。

荷物増やすな(戒め)
そんな感じで時間を潰していた。
結局Tシャツは日和って着なかった
18時
会場のKBSホールに到着。
結論から言うと後悔した。
いや、ライブTシャツ来ていけばよかったな。。他の参加者は着てる人多かったし。。

最前列のちょっと左。
それでも滅茶苦茶近くてびっくりした。こんな近くでライブ見るのは初めて。ドキドキする。
19時
開演。
噂には聞いていたけど、本当に裸足でライブしていてびっくりした。私も裸足でステージに出ようかな(?)
新譜の曲を軸に、全然知らない曲とか、すっごい好きなマイナーな曲とか、人気の定番曲とかとか、うねるようなセトリが素晴らしかった。
美しいステンドグラスをバックに、スポットライトを受ける姿はまさに晴れ舞台、1枚の絵画のような構図だった。
また、写真では幼く見えるけど実際に目の前に現れると大人のお姉さんで、歌い始めると本当に百様の表情を見せ、百様の雰囲気を纏っていた。
今回はアコギ1本とカネコアヤノだけの勇ましい編成。
アコギ1本だからこそ、ストロークの表現など、器用に効かせていた記憶が鮮明に残っている。
それに力強い唄声が載って、真っ直ぐに、凄い勢いで耳から心に突き刺さった。
ライブ中盤で5弦が切れ、(どんなストロークで弾いたら5弦切れるの??凄くない??)中断。
サブギターを持ち合わせていなかったらしく、MCしながら弦をステージ張り替えていた。
「以外かもしれないんですけど、弦張れるんですよ〜(笑)」
「今までのライブで1番MCしてる気がする」
とかとか、言っていて今日という日に来てよかったとマジで思った。マジで。
再開。
愛のままにの途中で3弦が切れ、またもや中断。
切れる時は一気に切れるよね。。。
それから残りの4曲はお詫び(?)でマイク無しのパフォーマンス!
ギターのマイクをワイルドに引き抜き、椅子から立ち上がっての演奏。
マイクは無くともその歌声は会場中に響いていて、凄まじく、本当に記憶に残る1日になった。
21時
会場を出て、カップルで騒然としている駅までの道で考える事は来月のライブのこと。
来月はバンド構成のライブがあって、勢いで入金したのが凄い楽しみになった。
この度はとても良い1日になりました。ありがとうございました。
晴れのち雨のち晴れ
2021.07.12. 月曜日
雑務を終え、布団に入っている。
とにかく今日という日を記録したくて書いている。から、雑に書く。
書いている27時はまだマシな部類。
今日は提出物がいろいろ面倒で、一睡もせずに暮らした。
そんな朝。晴れていた。
若干涼し気な感じの朝、一限だけだったので昼過ぎに帰る。まだ晴れていた。
午後からは人と会う約束があった。
電車に乗る。すげー雨。
ゲリラ豪雨的な感じで降ったり降らなかったり。
友人と合流。
その後は美味しい珈琲を求めて色々動いたり、趣味の買い物に付き合ってもらったりしたり。。。
オール明けでかなり動いて、ちょっぴり疲れて帰りの電車に乗る。
駐輪場を出ると、空は綺麗な夕暮れの色をしていた。
最近は変な天気が続くとはいえ、今日は特に変わった日だった。
かなり久々にしっっかりと人と遊んだからか、かなり楽しかった。
かなり期末レポートが差し迫ってきた。
次に、しっかり人と遊ぶのはちょっと先かも。
そろそろ遠くへ行きたい。
今は水平線が見たい気分かも。
じゃあまた。多分次はレポートからの現実逃避のために書くと思う。
出会いと別れ。刺客。交通事故。金銭トラブル。
2021.07.05. 月曜日
今日は災難だった。かも。そんな日。
精神的には昨日の発想の起点により、安定している。
いつも月曜日は授業が無いようなものなので、昼前に起床。
バイトへ向かう時刻よりも少し早い時間に家を出て、柄シャツを求め古着屋へ。
あった。運命の出会いが。
入る。店員さんに声をかけ、試着室へ。
驚く。そのサイズに。
なんとXS。
キャアアアアアアアアアア!!!!ちっっっっっっっっちゃいねぇ!!!!!(男とは思えない甲高い絶叫をあげ、泣きながら膝から崩れ落ちる)
いっそのこと出会わない方が良かった、僕と君は。
その方が悲しい思いをせずに済んだのに..............。
そんな一期一会を経て、古着屋をあとにした。
自転車で15分くらいのレコード屋へ向かうか悩んだけど、カバンが小さい、バイトの時間が近づいていた、ので、断念。
バイトまで永劫の20分。どう過ごすか。
とりあえず公園でのんびりと座っておけばいいや、という安易な考えが浮かび、コンビニで飲み物とコンビニスイーツを購入。

もっちりクレープ生チョコ&チョコチップ
↑これを買った、ローソンで。画像は拾い物。
公園で食べようと思った矢先、雨が。
仕方なく早めの出勤。
バイト先の休憩室で食べることになった。
せっかくだから外で食べたかったなぁ。。。別にいいんだけども。。
スイーツは美味しかった。
画像のままだけど、生クリームとチョコチップをクレープ生地でくるんだもの。
分かりやすい味。味の想像が容易すぎて度肝は抜かれないけど、しっかりと安定してハードルを越えてくれる感じ。
勤務中
生まれてこの方、蚊からは異様なまでのモテ方をしている私。他のバイトの人は無害の中、私だけ3か所被害にあった。
やっぱり余りにモテてしまうと刺されるんだね。人間にモテなくて良かった。
その後は買い物かごに轢かれたり、突然すげー低い陳列棚が足元に現れたり、色々と災難だった。
バイト先から帰宅して、今日から予約開始された平沢進の新譜を予約。
その後、思い出したかのように山下達郎が8月に出るアルバムのリマスター盤を予約。
さらには最近のドゥーワップの熱と、買い物の勢いでドゥーワップのコンピレーションCDを購入。
さらにさらに、カネコアヤノのライブの抽選に応募。これは昨日。
机上には今日アマゾンから届いた週末の発表に必要な本が。
ハンガーラックには2日前にZOZOから届いたシャツが。
............。
全部クレカが悪い。ネットに転がる魅力を15秒くらいで手の内にできてしまう。
日に日にスクロールする長さが伸びていくクレカのメモ書きに震える。
ギターを購入する軍資金を貯めたいのに。
今月買おうと思っていた安めのクラシックギターも、一旦やめた方が賢明かもしれない。
まだ6日なわけで、7月はまだまだあるわけで。
SNSを断絶してからちょうど1週間が経過している。
物欲もヤバい、気を付けないとドンドン浪費する。
ひょっとしてSNSを見る時間がネットショップ見る時間に変わっただけでは?
積んでいる本、読もう。
今日は期末に当たる。結構忙しいはず。頑張ります私。
スケジュールが凄かった土日
2021.07.04. 日曜日
とりあえずは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ落ち着けそうな感じがする。
昨日に行われたバンド練習もまずまずの感じであった。
その最中、コーラスの音程という課題が見出された。
難シイ、歌イタクナイ。
みんな当たり前のようにそこ音程ズレてる、とか、1オクターブ上の〜
とか言うけど、オクターブがどうだ、音程がどうだって事じゃなくて、その取り方を教えて欲しい。
だってそう言われて治しても維持できないもん、仕組みを理解してないから。
どう足掻いても感覚の世界なので他者の監督が必須。
だれかに教えてもらう必要がありそうですね。
ベースのプレイの方は概ね問題なかったといえそう。
人間もみんな人柄が良さそうで安心した。
それが昨日の話。
今日は滅多にない丸一日自由な日。
とにかく誰かと会いたかったので、色んな人に声をかけていたけど誰も予定が空いておらず、断念。ちょっぴり寂しいね。
でも気を取り直して植物園とレコ屋、喫茶店に買わないといけない本とか、行く場所行きたい場所は色々ある。
然しながら、結論から言うと全部の場所に行っていない。
父方の祖父の家に行っていた。
昨日、突然祖父の家に行くと告げられ、行かざるを得なくなった。
というもの以前に、私がただ1度、祖母の家に行かなかった事がある。
その祖母とはその逃した日の直後に会うことが出来ない存在になってしまった。
本当に後悔した。最後に会っておきたかったな。
その後悔から、祖父母の家に行くと言われると、半ば義務的に行くいう判断になってしまう。
義務的なんて言うと祖父には申し訳ないけど。でも自分を納得させるためにはそれが最善だと思われる。
というか、今の精神状態があまり良くないため、若干卑屈になっている気がする。
だってしばらく無い完全な休日、行きたい場所いっぱいあったんだもん。
余裕が無い私に非がある。
でも祖父は元気そうで安心した。その安心を得られただけで大いに価値はあるし、忙しい時期さえ超えれば夏休みだ、今日の分の楽しみはそれまでの楽しみにとっておく。
SNSを絶って数日経った。
どうなったかと言うと、孤独感が増した。
ネットショッピングでの散財が増した。
良い方向に解釈すると、他者と自己を無意識のうちに比較して自己否定に陥る隙は与えられなくなったと言える。
最近無性に信頼出来る人と会いたい気持ちになっているのはSNSを失ったのが原因なのか、シンプルにそういう人と1ヶ月は会っていないのが原因か分からない。もう少し経過を観察する。
暫くしたら慣れるのかな
それはそれで寂しい気がして怖い。
ここで今、脳内で色々と繋がった。
1度文脈を切り離して次の議論を展開する。
1人になってしまう事への恐怖。
そしてこの孤独感がSNSが要因のものだと仮定すると、これこそが他者との繋がりを求める現代人が抱える問題点なのではないだろうか。
真の落ち着きとは、「静寂」の中にあるはず、言い換えると「静寂」の空間以外に落ち着きは存在しないはず。
これで良いのだと思う。
今の状況はいわば『静寂』なんだろう。
ゆっくり自己を省みて、やるべき課題やこれからの到達目標を省察してみるのもいいかもしれない。
静寂から何を得るかはまだ見いだせていないけど、この孤独感を乗り越えると何かある気がする。
頑張りましょう。